”まるみ”とは
まるみデパートの「まるみ」とは、御調町の町章のことです。
学校の校章や施設のロゴなど、町のいろいろな場所に使われ、長年親しまれてきました。「まるみ」という呼び方は、いつの間にか呼ばれるようになった愛称です。
御調郡御調町は2005年に平成の大合併で尾道市に編入。町のシンボルだった「まるみ」はその役目を終え、姿を消しました…
尾道市に編入しても町のアイデンティティを大切に未来につなげたい…そんな想いで再びこのマークをシンボルに掲げ「まるみデパート」の活動は始まりました。
昭和33年10月制定。昭和30年2月1日、御調町は7か村の合併で新たに誕生。
町章は、皆すべての者が手を取り合って和やかな郷となるよう丸で形どり表現。
上部に「み」の字をひらがなで入れ、丸=○=月=つき=調として、町名を表す。
建物と記憶
2008年頃、この建物と出会いました。窓ガラスは割れ、雨樋は外れ、外観はボロボロ。道ゆく子どもたちからは「お化け屋敷みたい」と言われ怖がられるような雰囲気でした。家から「助けて〜」と声が聞こえるようでした。
建物の中には、大正期から昭和期に使われていた家財道具がたくさん。ここで暮らした人たちの記憶をまとった物たちが置き去りにされていました。金属、木製品からプラスチック製など、物を通して時代の変化が分かります。医院時代に使われていた珍しい器具などもそのままで、片付けだけで大仕事でした。
空き家など古い家の片付けは、他人のものを片付けるということで、ほとんどの人がやりたくない作業かもしれません。ゴミも多いから捨てるのも大変です。
ただし、これを前向きにとらえるなら、ゴミの分別の勉強になるし、古い物に触れるチャンスでもあります。中にはもう売られてない物もあるので、物を大切にする気持ちも芽生えます。大量生産、大量消費の時代の価値観を改める貴重な機会にもなりました。
DIYのはじまり
2010年、家を借り受け、改修作業をスタート。この物件は手前に洋館の建物、奥に住宅と庭がある縦になが〜い敷地。まずは奥の住宅を住めるように改修して、洋館に着手できたのは2011年になってからでした。
大工仕事未経験者での作業だったので、時間はかかりました。見たことも使ったこともない上げ下げ窓を解体して、ガラスの入れ替え、目地の修復、窓枠の塗装など、やりながらコツをつかんでいく作業の連続。床や壁などは解体はできても、施工するとなると限界があります。どうしても難しい箇所は大工さんや左官さんにお願いして一緒に作業しました。
古い内装の雰囲気に合わせて、新しい床は無垢材を使用。時間はかかったけど、いい経験になりました。
雨漏れで崩れかけて危険だった庇(ひさし)の撤去と外壁の修繕。もちろん、ここはプロに助けてもらいながらの作業。
建物の変遷
<医院時代>
この建物は大正7年(1918)に建てられ、医師の村井環氏が開業した「村井医院」として、昭和中期まで町の人たちの健康を支えました。
<空き家時代>
平成21年(2009)の建物。屋根沿いのモルタル装飾と入口扉が変わっています。軒が浅く、モルタル壁に雨水がかかり、窓や壁面の老朽化も進んでいます。
<まるみデパート時代>
令和5年(2023)の様子。雨漏りがあった屋根を大改修、瓦を葺き替えて雰囲気が大きく変わりました。庭の植物も元気で建物もイキイキして見えます。
まるみデパート
建物内の真ん中を中庭まで走る廊下。無垢の板に景色が反射するほどキレイになりました。内装には木材が多用されているので、天然のオイルで仕上げると生き返ります。経年の木材の変色は、人工的には出せない風合いなので、無色のオイルを使いました。
村井医院時代の看板。閉業後、取り外され傷んでいたものを修復して飾りました。この部屋は医院時代の受付・待合室だった3畳ほどの和室でした。今は玄関と合わせてエントランススペースとして階段を取り付けています。受付の窓が額縁のようで、何とも可愛らしいです。
建物の大きな特徴でもある大きな上げ下げ窓。中から見ると、また違った雰囲気です。大きな窓から外光がしっかり入って明るい空間です。ここは医院時代は診察室。今はカルチャー教室やカフェに使用しています。